
1988年、ブリスベンは、オーストラリアでは1880年以来初めての万国博覧会を主催し、世界の舞台へ踏み出しました。37年後、オーストラリアは再び、2025年万博開催中の大阪で、この国が持つ最高のものをご紹介していきます。
1988年万博は、ブリスベンのアイデンティティを再構築し、世界によるオーストラリアの評価とオーストラリアの自己評価を変える決定的な出来事でした。
それは単なる祭典にとどまらず、自信と可能性と大望の表明でもあったのです。
1988年4月30日、女王エリザベス2世によって開幕された1988年万博には1500万人以上が来場し、54カ国が展示に参加しました。ブリスベンにとって万博は転機となり、放置されていた川岸の土地は市民生活と文化の中心地へと生まれ変わりました。

2025年大阪・関西万博は異なる都市で開催されていますが、基盤にある考え方は同じです。万博は単なる展示会ではなく、扉を開き、つながりを築き、オーストラリアのすばらしい面を世界に再認識してもらう機会でもあるのです。
アマンダ・セッサーにとって、高校生のときに万博でパフォーマンスに参加したことは忘れられない経験です。
「観客の入場前に万博会場をかけ回り、学校の制服の上からビブスを身につけ、上空でジェット機が轟音を響かせる中で音楽を演奏し、とても大きなことの一端を担っているんだと感じました。」と語るアマンダ。「以前のサウス・バンクは未舗装の倉庫地帯だったんです。"
万博のおかげで開放的で活気みなぎるエリアに変わり、今日もブリスベンでこよなく愛されるスペースとなっています。」

1988年万博はオーストラリア全土で自国への誇りをかき立てました。 ティーンのときにクイーンズランド州の農村部からはるばる訪れたジャスティン・マーティンは、国を出ることなく多様な文化を目の当たりにできた驚きを覚えています。
「当時オーストラリアはそれほど多文化主義じゃなかったから、」と思い起こすジャスティン。 「中国や日本やイタリアのパビリオンを巡って、万博パスポートにスタンプもらって、夢のようでした。. 万博は私のような田舎の子の目を開いて、見ることはないと思っていた世界を見せてくれました。」

1988年万博の日本パビリオンで働いたジョン・マグレガーには、万博が仕事だけでなく、転機ももたらしました。 ブリスベン万博の思い出の保存に特化したサイトCelebrate 88 websiteを運営する、自称万博マニアのジョンは、このイベントが人生行路の決め手となったと言います。
「1988年万博によって、私が歩んでいく道は決まりました。 万博熱にかかってしまったんです。 それをきっかけにスペインや韓国での万博でも働きましたし、それ以外にも多くの万博を訪れました。 今年も行きます。少人数のツアーグループを引率して2025年大阪・関西万博に。」

ブリスベンから大阪へ:オーストラリアの次の世界舞台
1988年万博の精神は今日も生き続けています。
先月、日本で2025年大阪・関西万博が開幕し、オーストラリアパビリオンは新しいグローバルな舞台でオーストラリアの貿易、イノベーション、持続可能性、観光を誇りを持って売り込んでいます。
ブリスベン万博の名残はまだまだ健在であると2025年大阪・関西万博オーストラリア政府代表のナンシー・ゴードンは述べています。
「1988年万博は文化的なマイルストーンでした。オーストラリアにどれほどの可能性、創造性、解放性、未来志向性があるかを世界に示すことができました。 約40年が過ぎた今、私たちはその遺産を大阪で称え、1988年万博を忘れ難いものにしたその精神を固持しながら、私たちがどれほど成長したのかを見ていただきます。 本年の万博はすでに絶好のスタートを切り、オーストラリアパビリオンは最初のひと月だけでも36万人以上にご来場いただきました。」

有形の遺産としては、サウス・バンクに今も堂々と立つネパール・パゴダが挙げられます。万博後も残り、かつての高揚感を伝える数少ない建造物のひとつです。
そうは言っても、1988年万博の本当の遺産は、れんがや記念建造物にあるのではなく、それがオーストラリアに転換期をもたらしたということにあります。
オーストラリアは創造性や楽天的な姿勢を世界中からの観客に誇示し、国際級のイベントを開催する力を持つことを証明できました。 万博は、来場したオーストラリア市民の多くにとって、より広い世界につながる扉であり、他国の文化や新しい考え方や、海の向こうにある未来を初めて味わう場でした。 そして、ブリスベンでは、忘れ去られていた川岸の土地を活気みなぎる恒久的な街の中心地へと一変させ、永遠の足跡を残しました。
37年経った今も、1988年万博の精神は、作り出された思い出の中に、変化を遂げた街の中に、そして、オーストラリア市民の目を開き世界を見せてくれたその役割の中に生き続けています。